2012春 春なお遠し、日本環境行政
―三陸がれき、原発、そして水俣病の今―


2012・春(その1)
Aさん ー四月です! 春です! 桜も咲き始めました。センセイにとっては大学でみる最後の桜ですね。
H教授 ―キミは、大学の桜を何年見続けるつもりなんだ。もう10年を過ぎているんじゃないのか。
(混迷する政局―ルサンチマンに阿るなかれ)
Aさん
ー…ワタシの研究には終わりはないんです。(キョージュ苦笑)
それより野田サンは消費増税を閣議決定しましたが、このまますんなりと行くんでしょうか。小沢サンのグループは反対で役職辞任だとか離党騒ぎ、連立相手の国民新党は分裂というか、党首の亀井サン等が離党、もうわやくちゃです。
H教授―自民党の反応も微妙だし、五里霧中だな。民主党も長くないね。政界再編成が近いのかもしれない。
いずれにせよ原発再稼働同様、そうすんなりといかないことだけは確かだ。
ボク自身は支出のシステムを全面的に見直すと言うことならば、増税に反対ではないが、なぜ消費税かがいまいちわからない。所得税だってあるだろうし、環境税導入ならば一石二鳥どころか三鳥になると思うけどね。
いずれにせよマニフェストに真っ向から背反しているのは事実だから、きちんと総選挙の洗礼を受けるべきだろう。
一方、国民の方は消費増税容認派は半分、あとの半分は消費増税反対派だ。
原発と同じで、反対派の国民の思いとは逆の方向に政府は向かおうとしている。
このまま突っ走ったら、過半の庶民のフラストレーションは溜まる一方だろう。
Aさん ー消費増税反対、脱原発の社民党や共産党支持へは向かわないんですね。
H教授―フラストレーションは排外主義的気分によくフィットするから、そちらにはあまり行かない。おまけに社民党や共産党の支持基盤は労組だ。非組織労働者や一部の庶民は、労組に守られている労働者、とくに公務員に対する羨望と反感がしばしばあるから、難しいだろうなあ。
Aさんーあ、そうか。だから橋下サンなんですね。労組攻撃は異常なほどだし、朝鮮学校への対応を見ても排外主義を煽っているとしか思えませんし、消費増税反対で、原発反対を明確に唱えています。
H教授―うん、次の総選挙ではこうした庶民の怨念というか劣情、ルサンチマンに阿る橋下サンの「維新」が、やはり消費増税反対の小沢サンと組んだりすると、国政を牛耳ることにもなりかねない気がする。そして、その先は…と考えると少し恐ろしい。
(或るカリスマの死―隆明死す!)
Aさん ーあと何か環境以外のことで気になったことはありました?
H教授―もちろんいろいろあるが、個人的には吉本隆明サンの死かな。
Aさん ーは? 誰ですか、それ。
H教授―吉本ばななの父親と言えば分かるかな?
Aさん ーばなな?

H教授―(愕然)10年前なら、ばななの父親で通じたんだけどなあ…
60年代の思想的カリスマと言っていいかな。谷川雁、埴谷雄高、太田龍、黒田寛一、島茂郎…あの頃のヒーローが次々世を去って行ったなかで残った最後の、そして最強のカリスマだ。
これで一つの時代は完全に終わったな。ボクは昔、全著作集もそろえたんだぜ。(涙)
Aさん ーへえ、センセイはその吉本サンの信奉者だったんですね。どんな本を読まれたんですか。
H教授―「いまや一切が終わったからほんとうにはじまる いまやほんとうにはじまるから一切が終わった」
「告知する歌」の一節だ。
いくつかの詩集や政治評論のなかの箴言のようなセリフで、ほんとうに胸をうつものがあったなあ…
でも、よく考えてみると、代表的な著作と言われる「言語にとって美とはなにか」も「共同幻想論」も何一つマトモに読んでいないんだ。ぱらぱらとみても難しすぎてわからなかった。
ということは今にして思うと、そのころの知的ファッションで、それにかぶれていただけだったのかもしれない。
Aさん ーぷっ、正直ですね。で、その全著作集はどうしたんですか。
H教授―東京からこちらに引っ越すとき、古本屋に持って行ったけど、目方でいくらーという感じで愕然とした。こどものコミックスのほうが高く売れた。少なくともコミックスのほうは一冊何十円かで買ってくれた。
(三陸がれきの処理と「森の防波堤」構想)
Aさん
ーふふ、さあセンセイのくだらない感傷につきあうのは、ここまでにしましょう。
さて、再び3/11が巡って来て、新しい年度を迎えましたが、どこをみてもあまり芳しいニュースはないですね。東日本の復興も道遠しですが、それでも三陸のがれきの処理はようやく受け入れる自治体が少しは出てきたようです。
H教授―うん、でもうちの自治体の市議会は圧倒的多数で否決した。「受け入れ反対、こどもたちの未来を守れ」という、市民団体の声の大きさにびびったんだろう。情けない。
Aさん ーそういう市民団体って原発反対派の人たちですか。

H教授―うん、だが原発反対の人々だって、みながみな、受け入れに反対しているわけじゃない。というか、がれきの受け入れに賛成する人たちのほうがむしろ多い。
Aさん ーホントですか?
H教授―朝日新聞の最新の世論調査をみてごらん。脱原発に賛成の人は70%、一方、がれきの受け入れに反対の人は24%に過ぎない。声の大きさに惑わされてはならないよ。いっそのこと住民投票をやってみればいいんだ。
Aさんーでも三陸のがれきは廃棄物として日本全国に拡散させるのでなく、グリーンベルトの地盤として盛土にすればいいという意見もありますよ。宮脇昭先生と言う人が提唱しているようです。
H教授―「森の防波堤」という話だね。宮脇先生はボクがレンジャーのぺいぺいの頃に研修の講師で来られたことがある。メニューの一つとしてならボクも賛同するが、ただ、どこでも可能と言うわけじゃないだろう。
がれきの中身にもよるし、用地の問題もある。国公有地ならいざしらず、民有地だったら地主がOKしなければどうにもならない。
つまりそれが技術的に可能で、被災地の人々が賛同すればそうするのがいい。
ただ、いろんな事情でそれができず、地元で処理できないのであれば、広域処理せざるをえないと思うよ。
Aさん ーでも環境省はそういうのを本来認めていないのでしょう。
H教授
―そんなことはないんじゃないか。
ただ、南相馬市の場合、「森の防波堤」にするにしても、容量が足りないから宮城や岩手のがれきを受け入れさせてくれと言ってい
るのに、被災地内での広域処理は想定していないからダメと環境省が言ってるという話をネットで見た。
もし、それが事実だとしたらおかしいね。臨機応変に、広域処理以外のいろんなメニューを認め、広域処理と同じだけのカネを国は
出すべきだと思うよ。
でも、その「森の防波堤」構想を評価することと、広域処理反対とリンクさせることは本来的におかしいよ。
Aさんーその「森の防波堤」と、環境省が提唱している「三陸復興国立公園」構想とリンクさせればどうなんですか。
H教授
―なるほど。「三陸復興国立公園」構想は、陸中海岸国立公園を中心に、三陸地方の国定公園や都道府県立自然公園
を再編統合して、復興のシンボルにしようという構想だ。
ヤフー辞書によると、これらの公園を長距離自然歩道で結び、いざというと
きには住民の避難路としても活用する。津波で陸地に運ばれてきた巨石や、被災に耐えた樹木などは現状のまま残して、大津波の爪
痕を後世に伝える。
そして、今回の震災で発生した膨大ながれきのうち、分別した安全な廃材を利用して展望園地や避難場所も整備するし、今回の被災
を記録、伝承するための自然環境モニタリングや「鎮魂の丘」「鎮魂の森」の整備にも地元民と協力して取り組むことにしているそ
うだから、まさにリンクできそうだな。いや、させるべきだな。